どんな恋をし、どんな愛をとりこぼし、どんな恋に泣き、どんな愛を貫いたかによって人生は変わっていく。
1923年、パリにとびきりゴージャスでエキゾチックな女神が舞い降りた。
タマラ・ド・レンピッカという不思議な響きを持つ、グレタ・カルボ似のこの美女はそれまで誰もみたことのない、唯一無二の個性を放つ数々の肖像画で人々を強烈に魅了しました![ニコニコ]()

タマラは1898年、当時ロシア帝国支配下のワルシャワに生まれました![ニコニコ]()

父親はポーランド人の弁護士、ボリース・グールスキィと上流階級出身の母親マルヴィナで貴族でした![ニコニコ]()

タマラが5歳の時に自殺してしまいます![えーん]()

母親はまもなく再婚。
タマラは上流階級の子女がいくスイスのローザンヌの寄宿学校に行きました。
15歳になった時裕福な叔母のいるロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに行きました![ニコ]()

華やかなサンクトペテルブルクでタマラは贅沢三昧に暮らし、一生贅沢して暮らすことを決意します。
タマラは美しい人間、美しい衣装、美しい住まい、とにかく美しい物に目がない少女に成長していました。
1913年タマラはオペラ観劇で美しい男性に恋をした。
その男性は有名なプレイボーイ、ダデウシュ・ド・レンピッキだった。
彼はポーランド人の弁護士、大変な美男子で貴族の末裔、いつも美女たちに囲まれているモテモテの男性でした![ニコ]()
![ラブラブ]()


タマラは叔父のコネを利用し、あの手この手で近づき、ようやく2年後タマラはダデウシュを陥落、妊娠。できちゃった結婚までこぎつけました![ラブラブ]()

美男美女の若い夫婦は首都サンクトペテルブルクで豪奢な生活を満喫できたのはわずかな間だけでした![ショック]()

1917年ロシア革命が起こったのだった。皇帝夫妻は殺された。反ボルシェビキの地下運動をしていたダデウシュは逮捕され銃殺刑の危機が迫っていた。
タマラは夫のため刑務所を探して回り、有力者に頼み込み、夫ダデウシュは釈放された。
そして2人はフランスのパリに亡命しました。
しかし法律上ダデウシュはフランスで弁護士として働けなかったため、夫妻は宝石を売って生活費に当てました。
そんな中1919年タマラは娘のギゼットを出産。家計を立て直すためタマラは画家になる決意をします![ニコ]()
![ビックリマーク]()


1923年には主要なサロンに出展するまでになり、スタイリッシュな衣服を纏ったタマラは上流階級御用達の人気画家になるとともに、ミステリアスな魅力を放つタマラは社交界の花ともてはやされました。
顧客は錚々たる人物ばかり。亡命したロマノフ家のガブリエル大公をはじめ、侯爵や男爵、公爵夫人や外交官夫人、作家や政治家。。
タマラは仕事の合間にはアヴァンチュールを楽しみました。相手は男女問わなかった。
タマラは美しい男性が好きなように美しい女性も同じほど好きだった![ニコニコ]()

忙しいタマラは娘ギゼットは母親マルヴィナに預けっぱなしでほとんど面倒を見なかった![アセアセ]()

最愛の夫ダデウシュはそうした生活に疲れ、1927年にタマラを捨て、翌年1928年正式に離婚した。
タマラは夫ダデウシュの肖像画を描いている。
仕立ての良い黒いコートにシルクハット、白いマフラーをした夫ダデウシュ。
ダデウシュのエレガンスと冷たい官能が入り混じっている作品
![イエローハーツ]()


結婚して12年たっていたが39歳の男盛りの夫は、今なお妻の前に魅力的に映っていたのです。
しかし去っていく夫の肖像画を完成させるのは辛かったのか、結婚指輪を嵌めているはずの左手は未完のままだった。
タマラは奔放な女性だったが、初恋の相手である夫への想いは格別深かったのでしょう。
左手を完成させなければ、彼との関係は切れないと願っていたのでしょうか。
その後タマラはパトロンだったラウナ・ダフナー男爵と再婚しました![ショボーン]()

タマラは男爵夫人という貴族の称号を持つことになりこれまで以上の贅沢と名声を得た。しかしタマラはタマラ・ド・レンピッカという名前は生涯変えることはなかった。